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ニツポーテイオー

プロフィール

父: リイフオー
母: チヨダマサコ
品種: サラブレッド
性別: 雄(セン)
毛色: 鹿毛
生年月日:1983年04月21日
母馬所有者: 千代田牧場
生産牧場: 千代田牧場
産地: 北海道静内郡静内町

重賞競走

'87 天皇賞(秋) G1

'87 マイルChS G1

'88 安田記念 G1

'86 スワンS G2

'87 京王杯スプリングC G2

'86 NzT4歳S G3

'86 函館記念 G3

近況 2012年7月

もう30歳になりますが、飼い喰いもよく元気です。

所有者情報提供者:

繋養展示場所
〒057-0171 北海道浦河郡浦河町西舎141~40
 
うらかわ優駿ビレッジ「AERU」
TEL
0146-28-2111
HP・SNS等
うらかわ優駿ビレッジ「AERU」
展示時間
07時30分~16時00分
見学申込方法
連絡不要 直接訪問可
見学方法
自由見学
厩舎内への立ち入り
備考
直接訪問可能ですが、目的の馬が展示されていないこともあるので直接連絡にて確認してください。
着順 日付 レース名 競馬場 芝ダ 距離
1 1987年11月01日 天皇賞(秋) G1 東京 2000
1 1987年11月22日 マイルChS G1 京都 1600
1 1988年05月15日 安田記念 G1 東京 1600
1 1986年10月26日 スワンS G2 京都 1400
1 1987年04月26日 京王杯スプリングC G2 東京 1400
1 1986年05月24日 NzT4歳S G3 東京 1600
1 1986年08月17日 函館記念 G3 函館 2000
2 1986年11月16日 マイルChS G1 京都 1600
2 1987年05月17日 安田記念 G1 東京 1600
2 1987年06月14日 宝塚記念 G1 阪神 2200
2 1988年06月12日 宝塚記念 G1 阪神 2200
2 1986年10月05日 毎日王冠 G2 東京 1800
2 1988年04月24日 京王杯スプリングC G2 東京 1400
2 1986年01月12日 京成杯 G3 中山 1600
2 1986年06月22日 Rたんぱ賞 G3 福島 1800
3 1987年10月11日 毎日王冠 G2 東京 1800
3 1986年03月02日 弥生賞 G3 中山 2000
主催者 レース回数 1着 2着 3着 着外 賞金
1985年 中央 2 1 0 0 1 4,600,000
1986年 中央 10 3 4 1 2 162,733,600
1987年 中央 6 3 2 1 0 254,508,000
1988年 中央 3 1 2 0 0 123,146,400
合計 中央 21 8 8 2 3 544,988,000
年度 表彰情報
1986年 最優秀スプリンター
1987年 最優秀4歳以上牡馬
1987年 最優秀スプリンター

2014年11月 ~ニツポーテイオーとの再会~

北海道浦河町にあるうらかわ優駿ビレッジ「AERU」に、もうすぐ32歳になろうというニツポーテイオーがいる。


厩舎に貼ってあるJRA発行のヒーロー列伝ポスターには「マイルだったら譲れない」というキャッチコピーが躍るが、天皇賞・秋でも後続に5馬身の差をつけているように、1980年代後半を代表するスピード馬だった。


現役生活を引退したのは1988年。
その後、新ひだか町(旧静内町)のレックススタッドで2000年の春シーズンまで種雄馬生活を行ったのちここにやってきたのだから、ニツポーテイオーの31年間の歴史の中で、もっとも長く過ごしている場所がここ「AERU」ということになる。


現在は朝の7時頃から夕方まで、25歳のヒシマサル、24歳のウイニングチケットとともに同じパドックで過ごしている。

「3頭の中では飼葉を食べるペースなどは一番早く、内臓面も含めて丈夫な馬です。
今まで大きなケガや病気をすることなく、元気に過ごしています。」

と紹介してくれたのは太田篤志さん。

競走馬育成牧場などの勤務を経て、昨年、ここAERUにやってきた。聞けば、ニッポーテイオーよりも年下だという。

「現役時代のニッポーテイオーは知りませんが、こうしてニッポーテイオーのような名馬を扱えることに誇りをもっています。」

と胸を張る。

名馬のプライドを尊重しながら、最大限の慈しみをもって同馬に接している。
とはいえ、ここまですべてが順風満帆だったわけではない。

「昨年、パートナーというよりも年下で子分的存在だったダイユウサクが亡くなってしまったときは、とても寂しそうにしていました。」

馬が年齢のことを知っていたかどうかはわからないが、食欲も落ち、痩せてしまったという。

今では元気を取り戻しているものの、当時はそんなニツポーテイオーの姿に、太田さんも心を痛めた。
 
放牧地では若い時のように走りまわったりはしないが、かなりの運動力。
与えられている放牧地を大きく動き回って草を食み、そして水を飲んでいる。

そんなニツポーテイオーを太田さんは

「自分の意思を大切にしている馬。」

と表現している。

よく言えばマイペース。
悪く言えばわがまま。

「ずっとボスだったと聞いています。
今でも馬房の中では人に対して威張っていますよ。」

と笑う。

例えば朝、飼葉を付けにくる人の気配を察すると、まっさきに要求するのはニツポーテイオーだという。
放牧地では、自分よりも若く、体の大きな馬にその座を譲っているものの、屈しているのではなくほかの2頭からは一定の距離をおいている。


ヒシマサルとウイニングチケットが比較的近くで過ごすことが多いなか、ニツポーテイオーはポツンということが多い。
ニツポーテイオーが記録した全8勝中、最少着差が5歳春の安田記念における1馬身差。

現在の姿は、いつも後続を突き離してゴールする姿と重なる。

その様は、「孤高の帝王」という言葉が良く似合う。

今でも誕生日が近くなると人参や御守りが送られてくるそうだ。

「全国にファンがいる馬で、全国から会いに来てくださいます。
そういう方々のためにも1日々々を大切にして、最長寿記録を更新して欲しいです。」

と愛情を注がれている。

動画も公開していますので「ニツポーテイオーの近況」からご覧ください。