名馬.jp

エイシンサニー

プロフィール

父: ミルジヨージ
母: エイシンナツコ
品種: サラブレッド
性別: 雌
毛色: 鹿毛
生年月日:1987年03月29日
母馬所有者: 栄進牧場
生産牧場: 栄進牧場
産地: 北海道浦河郡浦河町

重賞競走

'90 オークス G1

'90 報知4歳牝馬特別 G2

近況 2013年4月

本来、気性はきつい馬ですが、現在はとても穏やかに過ごしています。健康状態も良好です。

繋養者情報提供者:

MOVIE

繋養展示場所
〒057-0036 北海道浦河郡浦河町上絵笛359
 
栄進牧場
TEL
090-5661-3929
展示時間
13時30分~15時30分
休日
土、日曜日
見学休止期間
12月01日 ~ 05月31日
 
繁殖シーズンのため
連絡予約
それ以外
見学方法
希望により案内あり
厩舎内への立ち入り
不可
備考
マナーを守って見学お願いします
着順 日付 レース名 競馬場 芝ダ 距離
1 1990年05月20日 オークス G1 東京 2400
1 1990年03月18日 報知4歳牝馬特別 G2 阪神 1400
4 1990年04月08日 桜花賞 G1 阪神 1600
1 1989年11月26日 カトレア賞 400万下 中京 1800
2 1990年01月06日 紅梅賞 オープン 京都 1200
3 1990年02月04日 エルフィンS オープン 阪神 1600
主催者 レース回数 1着 2着 3着 着外 賞金
1989年 中央 9 2 0 0 7 19,051,400
1990年 中央 10 2 1 1 6 159,471,200
1991年 中央 1 0 0 0 1 0
合計 中央 20 4 1 1 14 178,522,600

2017年5月 ~エイシンサニーとの再会~

新千歳空港から車で約2時間半。


札幌からだったら高速道路を使って3時間ほどでしょうか。


かつて、ドラマの舞台にもなった浦河町の絵笛地区。


そこに1990年のオークスでアグネスフローラの2冠を打ち砕いたエイシンサニーが、94年の小倉3歳ステークス優勝エイシンサンサン(25歳)とともに静かに余生を過ごしています。




エイシンサニーは、オークス優勝当時の馬体重は出走メンバー中3番目に軽い414キロでした。


父はイナリワンやロッキータイガー、ロジータを送り出したミルジョージで、母の父は天皇賞・春優勝クシロキングを送り出したダイアトム。また、祖母のラウンドマザーは天皇賞・秋(3200メートルの時代)に勝ったメジロタイヨウの全妹、という血統どおりに、その小さな体にはスタミナが目いっぱいに詰め込まれていました。


すべての馬が初めて経験する2400メートルの距離で、先に抜け出したアグネスフローラをインから交わしたそのレースぶりは、まさに重厚な血統の背景のなせる技と思われます。



30歳。
冬毛に覆われた馬体はさらに小さくなったようにも見えましたが、その目には生命力、力強さに満ちていました。


「この放牧地の近くは、車の往来も少ないですし、馬にとってよい環境だと思っています。」
と、紹介してくれたのは、栄進牧場の名古屋唯男繁殖主任です。


今回の取材のために駆けつけてくれました。


エイシンサニーのことを訪ねると、やはり1番の思い出はオークスだったようで
「当日は、牧場のテレビで観戦していましたが、不敗のアグネスフローラをやぶって優勝したのですから、それは嬉しかったですよ。
オークスというレースは、出走させるだけでも大変な舞台ですから。」
と馬を労います。


「なかなか冬毛が抜け落ちなくなりましたけれども、食欲はありますし年齢相応に健康です。
若いうちは気が強かった馬ですが、今はもう良いおばあちゃんです。」
と現状を教えてくれましたが、自分よりも大きく、若い馬たちを押しのけるようにして人間に近づく姿にボス的な雰囲気を残しています。




エイシンサニーは現役を引退後、生まれ故郷の栄進牧場で繁殖牝馬となりました。


ノーザンテースト、ダンシングブレーヴ、サンデーサイレンスら、時代を代表するような種牡馬を配合されてきましたが、なかなか母を超える産駒には恵まれず、15歳のときに他の牧場へ移動しています。


環境を変えることで、奮起を促したのかもしれませんが、その牧場では2頭の産駒を残して20歳のときに産んだ子を最後に繁殖生活を引退しています。


「その牧場では、約14年間も大切にしていただきました。」
29歳になった昨年2月に、栄進牧場からほど近い現在の牧場へと移ってきました。


「幸い、新しい環境にも慣れて、馬同士も仲良く過ごしています。
ここにいる馬たちは、みんな頑張ってくれた馬ですし、いつまでも元気に過ごして欲しい。
これからも、大切にしたいです。」
と愛情を注がれていました。