重賞競走
'01 東京大賞典(中央交流) G1
'02 マイルChS南部杯(中央交流) G1
'01 朱鷺大賞典(中央交流) G3
'02 名古屋大賞典(中央交流) G3
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 2001年12月29日 | 東京大賞典(中央交流) G1 | 大井 | ダ | 2000 |
1 | 2002年10月14日 | マイルChS南部杯(中央交流) G1 | 盛岡 | ダ | 1600 |
1 | 2001年11月07日 | 朱鷺大賞典(中央交流) G3 | 新潟 | ダ | 1800 |
1 | 2002年03月21日 | 名古屋大賞典(中央交流) G3 | 名古屋 | ダ | 1900 |
2 | 2001年10月08日 | マイルChS南部杯(中央交流) G1 | 盛岡 | ダ | 1600 |
2 | 2001年12月05日 | 彩の国浦和記念(中央交流) G2 | 浦和 | ダ | 2000 |
2 | 2001年09月01日 | エルムS G3 | 札幌 | ダ | 1700 |
3 | 2002年08月15日 | ブリーダーズGC(中央交流) G2 | 旭川 | ダ | 2300 |
3 | 2001年07月20日 | マーキュリーC(中央交流) G3 | 盛岡 | ダ | 2000 |
5 | 2001年06月26日 | 帝王賞(中央交流) G1 | 大井 | ダ | 2000 |
5 | 2002年02月17日 | フェブラリーS G1 | 東京 | ダ | 1600 |
5 | 2002年06月19日 | 帝王賞(中央交流) G1 | 大井 | ダ | 2000 |
1 | 2000年12月31日 | 桐花賞 | 水沢 | ダ | 2000 |
1 | 2001年05月13日 | シアンモア記念 | 水沢 | ダ | 1600 |
1 | 2001年09月16日 | 青藍賞 | 水沢 | ダ | 1600 |
1 | 2002年09月15日 | 青藍賞 | 水沢 | ダ | 1600 |
2 | 2000年12月17日 | トウケイニセイ記念 | 水沢 | ダ | 1600 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
1999年 | 地方 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 700,000 |
2000年 | 地方 | 14 | 11 | 2 | 0 | 1 | 29,200,000 |
2001年 | 中央 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 17,134,000 |
2001年 | 地方 | 9 | 5 | 2 | 1 | 1 | 178,850,000 |
2002年 | 中央 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 9,400,000 |
2002年 | 地方 | 6 | 3 | 0 | 1 | 2 | 110,000,000 |
合計 | 中央 | 3 | 0 | 1 | 0 | 2 | 26,534,000 |
合計 | 地方 | 30 | 20 | 4 | 2 | 4 | 318,750,000 |
年度 | 表彰情報 |
2001年 | NAR年度代表馬 |
2001年 | NAR4歳以上最優秀馬 |
2002年 | NAR年度代表馬 |
2002年 | NAR4歳以上最優秀馬 |
2001年 | NAR年度代表馬 |
2001年 | NAR4歳以上最優秀馬 |
2002年 | NAR年度代表馬 |
2002年 | NAR4歳以上最優秀馬 |
岩手競馬に所属したまま東京大賞典、そして地元で行われたマイルチャンピオンシップ南部杯でJRAはじめ全国の砂の猛者たちを一蹴。
2年連続でNAR年度代表馬に選ばれたのがトーホウエンペラーです。
2014年の種付けを最後に種雄馬生活から引退し、現在は北海道新ひだか町にある静内フジカワ牧場で引退名馬として余生を送っています。
現在は夏時間ということもあって朝は4時半くらいに放牧。
厩舎と放牧地を自由に行き来できる特別なパドック(放牧地)で自由気ままな生活です。
写真に写りこんでいる壁の向こうには静内フジカワ牧場の種雌馬たちの放牧地があるのですが、特別気にする様子もありません。
「トーホウエンペラーのオーナーと懇意にさせていただいたのがご縁です。種雄馬生活の晩年から当牧場で過ごしていますが、本当におとなしい馬。おとなしいというよりも賢い馬と表現した方が適切かもしれません。」
と同牧場の藤川達矢さんが、いきさつを話してくれました。
「普通、種雄馬を経験しているような馬はどこか危ないイメージもあるのですが、トーホウエンペラーに関しては全くそんなことを感じさせない馬でした。」
もしかしたら、3歳12月31日にデビューするまで、たくさんの人間によって支えられてきたことから人間に対して深い信頼感があるのかもしれません。
「今は、新型コロナの感染防止という意味から見学を中止させていただいておりますが、以前は熱心なファンの方がたくさんいらっしゃいました。JRAの大きなレースを勝ったわけでもないのに、本当にありがたいこと。この馬のことを覚えてくださっている方がこんなにもたくさんいらっしゃるのかと、私も1人の競馬ファンですので嬉しく思います。」
と感謝の言葉を続けてくれました。
そんなトーホウエンペラーも26歳。
サラブレッド、種雄馬経験馬としては上から数えたほうが早い1頭となりましたが、張りのある馬体は年齢を感じさせないほどのオーラを放っています。
「お父さんのブライアンズタイムも長生きでした。当牧場には同じブライアンズタイム産駒で当牧場生産のワイルドワンダーもおりますが、こちらも20歳という年齢を感じさせないくらいに元気です。トーホウエンペラーが元気なのは、遺伝なのかもしれませんね。」
と優しい目を送る、その視線の先にはむしゃむしゃと青草をほおばるトーホウエンペラーがいました。
今回の撮影は、朝5時半くらいから2時間ほどかけて行いましたが、以前、種雄馬として繋養されていた時代と変わらぬほど旺盛な食欲には少し驚かされると同時に、なんだか懐かしい気持ちにもさせられました。
放牧中、あまり頭を上げることなく、少しでも美味しそうな草を求めて放牧地を歩き回る仕草も、その当時のままです。
人間には慣れているので、見知らぬカメラマンが放牧地の周りをウロウロしてもどこ吹く風。あまり気にする様子もありません。
それひとつとっても人間に対する信頼感のようなものが感じられます。
『どん底からの栄光』
今、改めてトーホウエンペラーが歩んできた道をたどると、どんな状況でも諦めなければ道は開けるのではないかと、そんな気持ちにさせられます。
一度は中央競馬に登録されたものの、未出走のまま岩手競馬に移籍。脚部不安を抱えた本馬を関係者はあきらめることなく慎重に調整を続け、デビューにこぎつけたのは3歳12月31日。デビュー戦では、すでに勝ち上がっていた馬もいましたが、それらを一蹴。
その1戦をきっかけに9連勝を記録し、目敏い競馬ファンからは
『岩手にトーホウエンペラーあり』
と噂されるようになりました。
重賞初勝利は、デビューからちょうど1年後の12月31日。
岩手版有馬記念といわれる桐花賞に勝ち、それから丸2年間、王者として君臨し続けました。
「現在は見学を中止させてもらっていますが、馬は大変元気にしています。ファンの方々が気兼ねすることなく牧場に足を運んでもらえるようになった際、がっかりさせないようにしっかりと管理していきたいと思います。まずは、今回の写真、そして動画で元気な姿を見てください。」
というメッセージをお預かりしました。