重賞競走
'00 フェアリーS G3
'03 セントウルS G3
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 2000年12月17日 | フェアリーS G3 | 中山 | 芝 | 1200 |
1 | 2003年09月14日 | セントウルS G3 | 阪神 | 芝 | 1200 |
2 | 2002年12月15日 | CBC賞 G2 | 中京 | 芝 | 1200 |
2 | 2003年11月01日 | スワンS G2 | 京都 | 芝 | 1400 |
3 | 2004年02月29日 | 阪急杯 G3 | 阪神 | 芝 | 1200 |
5 | 2003年10月05日 | スプリンターズS G1 | 中山 | 芝 | 1200 |
1 | 2000年11月19日 | 福島3歳S オープン | 福島 | 芝 | 1200 |
1 | 2001年11月25日 | アンドロメダS オープン | 京都 | 芝 | 1200 |
1 | 2002年04月21日 | 駿風S オープン | 新潟 | 芝 | 1000 |
1 | 2002年08月04日 | 小倉日経OP オープン | 小倉 | 芝 | 1200 |
1 | 2003年05月24日 | TV愛知OP オープン | 中京 | 芝 | 1200 |
1 | 2003年08月10日 | 小倉日経OP オープン | 小倉 | 芝 | 1200 |
2 | 2002年10月06日 | 福島民報杯 オープン | 福島 | 芝 | 1200 |
2 | 2002年11月24日 | アンドロメダS オープン | 京都 | 芝 | 1200 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
2000年 | 中央 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 54,945,000 |
2001年 | 中央 | 3 | 1 | 0 | 0 | 2 | 26,152,000 |
2002年 | 中央 | 9 | 2 | 3 | 0 | 4 | 98,084,000 |
2003年 | 中央 | 8 | 3 | 1 | 0 | 4 | 135,592,000 |
2004年 | 中央 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 11,085,000 |
合計 | 中央 | 25 | 9 | 4 | 1 | 11 | 325,858,000 |
1998年春、フジキセキの3世代目産駒として、テンシノキセキは浦河町の駿河牧場で産声を上げました。現在、生まれ故郷である駿河牧場は閉鎖されてしまいましたが、同牧場で長年スタッフとして働いてきた高山崇さんが、厩舎や放牧地など牧場跡地にある施設を利用して、テンシノキセキなどを管理しています。
高山さんは、テンシノキセキが生まれた当時のことを
「青鹿毛のフジキセキと、鹿毛のビーバップアルーとの間に生まれた栗毛の雌馬ということもあって印象に残る1頭でした。牧場時代は、少し細身の印象で、おとなしい性格。人間を頼ってくるようなところがあった馬でした。もちろん、生産馬ですから期待していましたが、重賞競走を2つも勝ってくれるとは思わなかったです。」
と懐かしみます。
21世紀最初の年にクラシックシーズンを迎えるこの世代、とくに雌馬は近年まれにみる豪華世代でした。2冠牝馬テイエムオーシャンに、最優秀4歳以上牝馬に選ばれたダイヤモンドビコーとビリーヴ、そして帝王賞に勝つネームヴァリューなど。そんな中にあってテンシノキセキは新馬、福島3歳S(当時の表記)、フェアリーSと3連勝。一躍、桜花賞馬候補として名乗りを上げる存在でした。
残念なことに、期待された3歳春のクラシックは脚部不安を発症して不参加でしたが、復帰後は天賦の才ともいうべきスピードを武器に長く短距離重賞路線で活躍を続け、2003年のセントウルSではビリーヴ、デュランダル、アドマイヤマックスといった3頭のGⅠ優勝馬を従えて先頭でゴールインしました。
「あの日は社長が競馬場へ応援に出かけ、私は牧場でテレビの画面を通しての応援でした。接戦になりましたがビリーヴをハナ差で負かしてくれた。今でも1番印象に残っているレースです。」
と高山さん。
そして、通算25戦9勝2着4回3着1回の成績を残したテンシノキセキは現役引退後、駿河牧場含め3つの牧場で10頭の産駒を育てあげ、現在は生まれ故郷で引退名馬として余生を送っています。
「駿河牧場の閉鎖が決まった時、テンシノキセキはまだ若かったので違う牧場に引き取られ、22歳まで繁殖雌馬生活を続けました。
不受胎をきっかけに繁殖雌馬からの引退が決まったそうでが、それを聞きつけたテンシノキセキのファンの方が動いてくれたおかげで生まれ故郷へと戻ることができました。」
と高山さん。
高山さん自身もテンシノキセキが最後に繁殖生活を送っていた牧場へは何度か足を運んで再会を楽しんでいたそうです。
この撮影は9月上旬。いつもは正午前から翌朝までが放牧時間だそうですが、この日は放牧地にアブが多く30分だけの放牧でした。
吸血昆虫のアブは、人間を刺すことはほとんどありませんが、馬はアブに刺されると驚いて走るなどして思わぬケガなどする心配があります。このことひとつをとっても、テンシノキセキが大切に扱われていることがわかります。
「テンシノキセキは、引退後繁殖入りしてからの2年間は不受胎が続きました。だから3年目に受胎して初めて子どもが生まれたときは、みんなで大喜びしたことを覚えています。」
当時、駿河牧場の社長だった川又さんは、
「賢い馬だから、子供を産んで、育てる体力が備わるまで無理をしなかったのかも。」
と話していたようです。その時に生まれたのが、のちに新馬、そしてフェニックス賞を勝ったカレンナホホエミです。
現在25歳。サラブレッドとしては高齢かもしれませんが、御覧のように体のラインは崩れておらず元気いっぱいです。
「人に頼るような性格なので、どこへ行ってもかわいがられていたのだと思います。幸い、歯も丈夫で健康面に不安はありません。」
とのことですが
「年齢が年齢だけに、やはり健康面には注意しています。できる限り手はかけていますが、過保護になりすぎないようにも気を付けています。」
と高山さん。
数奇な運命とは言い過ぎかもしれませんが、サラブレッドという動物であることを考えれば、1人と1頭の再会は『奇跡』と呼べるものかもしれません。願わくば、穏やかな日が1日でも長く続きますように。