重賞競走
'06 エンプレス杯(中央交流) G2
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 2006年02月22日 | エンプレス杯(中央交流) G2 | 川崎 | ダ | 2100 |
1 | 2003年11月02日 | 渡利特別 1000万下 | 福島 | ダ | 1700 |
3 | 2005年05月21日 | 名古屋城S 1600万下 | 中京 | ダ | 1700 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
2002年 | 中央 | 11 | 2 | 2 | 0 | 7 | 19,600,000 |
2003年 | 中央 | 13 | 2 | 0 | 0 | 11 | 22,420,000 |
2004年 | 中央 | 9 | 0 | 1 | 1 | 7 | 9,700,000 |
2005年 | 中央 | 8 | 1 | 0 | 1 | 6 | 17,754,000 |
2006年 | 地方 | 3 | 2 | 0 | 0 | 1 | 45,500,000 |
合計 | 地方 | 3 | 2 | 0 | 0 | 1 | 45,500,000 |
合計 | 中央 | 41 | 5 | 3 | 2 | 31 | 69,474,000 |
かつて東北地方は、重要な馬産地として軍馬や農耕馬の生産が盛に行われていました。
1932年からスタートした東京優駿(日本ダービー)は第2回のカブトヤマから第4回のガヴァナーまで東北産馬が3連覇。
初代3冠馬のセントライト含め、これまで15頭の優勝馬を送り出してきましたが、1990年代以降は経営者の高齢化や後継者不足などにより生産者が減少しています。
そんな中で管内の生産者に大きな勇気と希望を与えたのがキョウエイギアによる2016年のジャパンダートダービーの優勝でした。
現在は、その母で2006年のエンプレス杯の優勝馬ローレルアンジュとともに生まれ故郷のワールドファーム(青森県)で引退名馬として余生を送っています。
東北新幹線八戸駅から車で30分程のところにあるワールドファームは、1965年創業の歴史ある牧場ですが、青森県内外を問わず優秀な種雄馬を求め、その歴史の中で『ローレルアンジュ』、『キョウエイギア』の母とその息子のほか、2002年のラジオたんぱ賞の優勝馬『カッツミー』や岩手競馬グランプリ「桐花賞」優勝馬『マツリダパレス』などを生産しています。
「キョウエイギアの母、ローレルアンジュは、当ファームにとっては初の重賞優勝馬です。JRAで5勝してくれただけではなく、キョウエイギアも送り出してくれました。
ローレルアンジュには感謝しかありません。」
と話してくれたのは同ファームの村上幹夫さんでした。
ローレルアンジュが初めて重賞を制したエンプレス杯は、JRAから船橋競馬へ転厩2戦目。
前走のA2特別で地方競馬の砂への適性を示していましたが、すでに7歳の雌馬。
このレースでは的場文男騎手を鞍上に迎えましたが、13頭立て8番人気という低評価での出走でした。
五分のスタートから中団でレースを進めると、2周目向こう正面でスパート。ゴール前で抜け出すと追い込む他馬を退けて重賞初挑戦で重賞ウイナーの仲間入りを果たしました。
「このレースは、まさか勝てると思っていなかったので気楽にテレビで見ていたのですが、本当に嬉しかったです。」
と村上さん。
しかし、その後は1戦したのみで屈腱炎を患い、復帰を目指したものの引退を余儀なくされてしまいました。
「育成牧場や厩舎では手を焼かせる馬だったようですが、牧場にいた頃は大人しい馬でした。ただ、戻ってきたときは、やっぱり競走馬らしい気性になっていました。」
と頭を掻きます。
当然、牧場の期待も大きく初年度からキングカメハメハを配合。
その後もアドマイヤムーン、シンボリクリスエスなど人気種雄馬を配合しました。
「ローレルアンジュには、キョウエイギアが生まれる前年にディープスカイを配合したのですが、流産してしまいました。」
それでも、あきらめきれずに
「父親ゆずりの馬格を持つような、見栄えがするような子を産んでほしかったから。」
と再びディープスカイを配合。
「思い通りに雄大な馬格を持って生まれてきてくれました。」
と膝をうったといいます。
その後もなかなか産駒に恵まれませんでしたが、キョウエイギアから5年ぶりに産んだレブンカムイは現役の準オープン馬で、最後の産駒となったカミノカガヤキも母と同じ南田美知雄厩舎で勝利を経験しています。
「24歳の春まで配合しましたが、やはり産駒に恵まれず、この春からは、引退名馬として余生を送っています。」
25歳となった今は、後輩たちの面倒をみるリードホースとして、放牧地の主となっています。
さすがに放牧地を走り回るということはありませんが、必要なときには1歳馬をしっかりとリードする一面も見せてくれます。
ローレルアンジュたちの放牧地から通路と小高い丘を挟んだ、はす向かいにいるのがキョウエイギアでした。
種雄馬を経験しているので直接雌馬が見えないところに放牧しています。
「キョウエイギアが優勝した2016年のジャパンダートダービーは両親が競馬場へ応援に行きましたので、私は自宅でテレビ観戦でした。もちろん応援はしていましたが、ゴールドドリームやケイティブレイブ、バルダッサーレなど強い馬がたくさん出走していたので正直勝てるとは思っていませんでした。最後は頭が真っ白になり、そのあとのことはよく覚えていません。」
と当時のことを話してくれました。
このレースでキョウエイギアが2着ケイティブレイブにつけた4馬身差というのは、2005年のカネヒキリと同じものでゴールドアリュール(2002年)、クリソライト(2013年)の7馬身差に次ぐ3位タイの記録として今も残っています。
「種雄馬は引退しましたが、最後の産駒はホッカイドウ競馬からのデビューする予定で、すでに能力検査も合格しています。」
と話してくれました。
また、ワールドファーム生産馬のハヤテノフクノスケは2024年の日本ダービー出走目指して京都新聞杯に出走しました。
東北産馬、頑張っています!
「ローレルアンジュは長く頑張ってくれましたし、キョウエイギアには大きな勇気をもらいました。2頭とも、自分の人生にとってはかけがえのない馬で、いつまでも元気に過ごして欲しいと思います。」
と目を細めていました。