重賞競走
'96 NHKマイルC G1
'96 毎日杯 G3
着順 | 日付 | レース名 | 競馬場 | 芝ダ | 距離 |
1 | 1996年05月12日 | NHKマイルC G1 | 東京 | 芝 | 1600 |
1 | 1996年03月24日 | 毎日杯 G3 | 阪神 | 芝 | 2000 |
1 | 1995年12月02日 | 葉牡丹賞 500万下 | 中山 | 芝 | 2000 |
年 | 主催者 | レース回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 | 賞金 |
1995年 | 中央 | 4 | 2 | 0 | 0 | 2 | 15,552,000 |
1996年 | 中央 | 6 | 2 | 0 | 0 | 4 | 138,690,000 |
1997年 | 中央 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 9,000,000 |
合計 | 中央 | 15 | 4 | 0 | 0 | 11 | 163,242,000 |
長く「ダービートライアル」として親しまれていたNHK杯が、マイルGⅠ競走「NHKマイルカップ」として生まれかわったのは1996年のこと。
距離別競走体系の確立という意味からの番組改革だったのですが、このレースは、皐月賞やダービーといったクラシック競走に出走権利が与えられなかった(当時)外国産馬にも開放したために「外国産馬ダービー」ともいわれました。
その第1回NHKマイルカップ優勝馬がタイキフォーチュンでした。
18頭立てで行われたこのレース。
結果から言えば上位8頭までを外国産馬が独占し、しかも優勝タイムの1分32秒6は、当時オグリキャップが持っていたコースレコードにコンマ2秒差と迫るものでした。
通算15戦4勝で現役生活を退いたタイキフォーチュンは、浦河町のイーストスタッドで種雄馬となりました。初年度こそ28頭の種雌馬に種付けをおこないましたが、供用6年目以降は種付けの記録がなく、試情馬(アテ馬)兼用として過ごしていました。2020年からNPO法人引退馬協会のフォスターホースの一頭に加わり、新ひだか町三石の本桐牧場で引退名馬として繋養を開始しました。
当時27歳。
年齢的なことも考慮されて、去勢手術は行われず、今も雄のままです。
同牧場の荒川英男さんによれば
「移動してきたばかりのころは、少し気の強さもありましたが、すっかり環境にも慣れて、のんびりと過ごしています。
今は、種雌馬と同じ厩舎に入れていますが、種雌馬のことはまったく気にしないようです。」
と現在の様子を話してくださいました。
そんな性格だから、イーストスタッドでも長く可愛がられていたのかもしれません。
現在は、朝5時から夕方まで体調を考慮しながらの放牧生活です。
「28歳という年齢には見えないほど、見た目にも、そして普段の様子も元気いっぱいです。膝に古傷があるようで、坂道を下るときには少し慎重になりますが、朝、放牧すると嬉しいのか、走り回るほどに元気です。」
取材中も食欲は旺盛。
広い放牧地を少しずつ移動しながら草を食み続けています。
ただ、年齢的に仕方のないことですが、奥歯の噛み合わせが悪くなっているそうで、穀物などはすりつぶして与えているそうです。
「熱心なファンの方から、冬場には貴重な青草を送っていただきました。
乾草が食べにくくなっているタイキフォーチュンにとっては本当にありがたかったです。おかげで痩せることなく冬場を過ごすことができました。」
現在、本桐牧場ではツイッターを使って現在の様子などを発信しているのですが
「タイキフォーチュンが移動して来た頃から、一気にフォロワーが増えました。」
コロナ禍でのコメントや「いいね!」も励みになっているそうです。
「今は移動制限などがあって、なかなか会いに来られないでしょうけれども、皆様方の気持ちはSNSなどを通して伝わってきますし、馬にも伝わっていると思います。私たちは準備をしながら待っていますので、騒ぎが収まったら、ぜひ会いに来てください。」
引退名馬の中でも、年齢的には上から数えたほうが早いポジションになっていますが
「馬は元気にしています。これからも無事に、元気に、少しでも長く生きて、このような姿を多くの方々に届けたいし、見ていただきたいと思います。」
日高地方でも有数の歴史を誇る本桐牧場。名種雄馬チャイナロックの銅像が見守る中でタイキフォーチュンは元気に過ごしています。